嘗て存在した忘却の町並み「旭町」

嘗て存在した忘却の町並み「旭町」
風情ある川沿いの街並みと解体の写真。
大正の栄華が終わる時
大正時代の旭町表通りは上下に分かれた2車線の通りに中央を桜木が並ぶ風情ある通りで料亭に芸者や人力車が行き交う繁華街でした。建物の背面となる部分は河原に突き出して建てられており川の眺めも楽しめたようですが初期の護岸工事で土手の下に埋まりこむような状態となりました。
旭町の解体
昭和47年7月に堤防が決壊し現在の小学校より南側が床上浸水する水害が発生しました。その後の護岸強化により旭町の街並みは解体され現在は西側の通りの建物など一部を残すのみとなっています。
<関連リンク>
>旭町の風情残す蔵
>三次河川国道事務所‐昭和47年7月豪雨災害(詳しく書かれています)

2020.08.08/写真を追加(トラックと倉庫・S38年の姿)

 
 
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